日経『経済教室』に寄稿しました(2026.1.30)
わが国の介護保険制度は深刻な危機に直面しています。高齢化の進展で介護サービスへの需要が大幅に増加する一方で、それを支える財源や人材が不足しています。
この危機を打開すべく、社会保障審議会の介護保険部会が、2027年度の制度見直しに向けた意見書を公表しました。
以下の記事では、多岐にわたる見直し案の中から3点に絞って考察するとともに、ケアマネジャーを司令塔に位置づけ、限りある介護資源の有効活用を進めることを提案しました。
日経『経済教室』に寄稿しました(2024.9.16)
「医師の働き方改革」が注目を集めていいます。2024年4月から医師の残業時間が制限され、医師の過重労働の是正や医療の質の向上が期待されていますが、その一方で、働き手の確保が必要となった大学病院が派遣先の病院から医師を引き揚げ、地域医療に悪影響を及ぼすのではないかとも懸念されています。
実は、2004年の医師の新臨床研修制度導入の際も、同様の「医師引き揚げ」が懸念されました。筆者らは、新研修制度導入が、地域の病院勤務医数の減少、病院・病床数の減少、死亡者数の増加につながったことを示し、論文が Health Economics 誌に掲載されました(東京大学渡辺安虎氏と共著)。大学病院における医師の働き手が突然変化した点で今回の「医師の働き方改革」と共通点が多く、分析からの示唆を寄稿しました。
日経『経済教室』に寄稿しました(2023.11.16)
2024年度の診療・介護報酬の同時改訂の課題として、特に、医療と介護の保険制度の垣根を越えて、資源配分を最適化する視点の重要性を寄稿しました。我が国では、医療と介護は別々の保険制度として運用されています。そのため、「医療費を増やすが介護費を減らす」といった、保険制度の垣根を超えた影響を持つサービスや医薬品等の価格や利用が社会的に望ましいレベルとならない可能性があります。そのような「外部効果」が大きい場合は、二つの保険制度を俯瞰する機関での調整が必要となるでしょう。
伝統的な経済学では、価格「ゼロ」は低価格の1つにすぎず、ゼロ価格とゼロでない低価格に本質的な違いがあるとは考えません。一方で、近年発展の目覚ましい行動経済学では、消費者はゼロ価格を特別なものと感じ、価格がゼロになると需要が一段と増加する可能性を指摘します。このような、ゼロと非ゼロ価格の影響が本質的に異なる可能性を「ゼロ価格効果」と呼びます。
ゼロ価格効果が存在するのかどうか、子供医療費助成に伴う価格変化を用いて分析した論文が、American Economic Journal: Applied Economics に掲載されましたので、ご紹介します(共著者:重岡仁 東京大学教授)。
リアルワールドデータを用いてゼロ価格効果を示した初めての論文です。
論文は以下もしくはこちらから。
解説のPDF 版はこちら(ダウンロードできます)。
近年、市区町村による子供医療費助成が大幅に拡大してきました。これに伴い、医療費の自己負担がゼロもしくはごく少額となる場合が多くあります。論文では、これらのゼロ付近の価格変化を用いて、ゼロ価格効果を検証しています。
データは、市区町村の助成制度の詳細を自治体に確認し、個人レベルのレセプトデータ(診療報酬の請求データ)と結合し作成しました。分析対象は人口の多い6都府県(294市町村)に住む6歳から15歳の子供です。個人情報の保護には細心の注意を払い、分析データには個人を特定できる情報は含まれません。
図1は子供医療費助成を行う市区町村の割合を対象年齢別に示しています。2005年時点(図の左端)では15歳(中学卒業)まで助成する自治体はありませんでしたが、2015年には約8割に拡大しました。直近では高校卒業まで助成する自治体も増えています。

図2(左図)は、子供が最低月一回外来受診する割合を、医療費助成の有無と年齢別にプロットしたものです。自己負担分がゼロの場合(▲)、30%の場合(●)と比べて外来受診が大幅に増えます。この傾向は7歳から15歳までどの年齢でも見られます。医療費月額をプロットした右図でも同様です。これらから、医療費助成により医療サービスの利用が大幅に増えることが示唆されます。

実証分析では、医療費助成に伴う自己負担(=価格)の変化が医療需要に及ぼす影響を推計します。推計では、自己負担がゼロの自治体に住む子供をコントロール群、医療費助成のあった自治体に住む子供を処置群とし、Difference-in-Differences(差分の差分法)の手法を用います。
図3は推計結果を自己負担割合別に示したものです。
図の各点は、自己負担があると、月に最低一回外来受診する割合が無料の場合と比べてどの程度減少するか示したものです。*1

まず、図の各点が全てマイナスの値を示すことから、少額でも自己負担があると外来受診が減少することがわかります。例えば一回200円(左端の点)の場合、月に最低一回外来受診する確率が無料の場合と比べて約3.1%ポイント減少します(参考:無料の場合に月に最低一回外来受診する割合は43.9%)。
一方で、興味深いことに、一回200円の少額負担(左端の点)と、10%や15%といったより大きな自己負担の影響はさほど変わらないように見えます。このことから、自己負担のあるなしは需要に大きな影響を及ぼす一方で、自己負担の大きさの影響は比較的小さいことが示唆されます。
推計結果を用い、子供医療費を無料とすることで医療費がどの程度増えるか試算しました。前提として、全自治体で自己負担が一回200円から無料に変更され、今回の推計値が全自治体に当てはまる、と仮定します。この場合、2015年の7~14歳の子供の数は約880万人なので、医療費の無償化でこの年齢層の外来医療費支出が年間約564億円(約11%)増加します。また、自己負担が3割から無料となった場合は、約25%の医療費増となります。
ここで注意すべきは、子供医療費を無償化する自治体は医療費の増加分の3割のみを負担し、残り7割は保険料や税金で国民(住民以外も)が広く負担することです。経済学では負の外部性と呼びますが、無償化は当該自治体以外の国民に広く負担を強いることになります。
ゼロ価格効果の有無の検証は、上記の推計結果を利用して行います。直感的には、まず図3のグラフの各点を滑らかな線で結び、縦軸との交点を求めます。もしその交点が原点より下にある場合、ごく小さな価格からゼロ価格になると需要が非連続的に増加することになり、ゼロ価格効果の存在を示唆します。一方で交点が原点と一致すれば、ゼロ価格効果はないと解釈されます。
論文では計量経済学の手法を用いて検証を行い、交点の値が統計的に有意にゼロと異なること、つまりゼロ価格効果が存在すること、また、ゼロ価格効果が需要を約5%押し上げること、がわかりました。
図3は、自己負担が医療サービスの利用を減らすことを示していました。では具体的にどのような医療を減らすのでしょうか。
まず、患者の健康度に着目し分析しました。その結果、少額の自己負担は、比較的健康な子供の頻繁な外来受診を減らす一方で、健康状態の悪い子供の毎月の外来受診には影響しないことがわかりました。これらから、少額の自己負担は外来受診する患者をスクリーニングし、医療資源をより健康状態の悪い子供に配分する役割を果たしていると解釈できます。
次に、少額の自己負担が価値の高い医療(high-value care)と価値の低い医療(low-value care)に及ぼす影響を分析しました。近年の研究では、人々は医療の価値を必ずしも正しく認識せず、結果として、価値の低い医療を過剰に利用したり、価値の高い医療を過小に利用したりする可能性(Behavioral Hazard)が指摘されています(Baicker et al. 2015)。
価値の低い医療の例としては、不適切な抗生物質の使用への影響を分析しました。医学の論文では、気管支炎や喘息の子供に対する抗生物質の使用は不適切とされます(Fleming-Dutra et al. 2016)。分析から、自己負担をゼロとせず、少額の自己負担(200円/回)を課すことで、不適切な抗生物質の使用が約18%減少することがわかりました。言い換えると、子供医療費をゼロとすることで、価値の低い医療が大幅に増えることが懸念されます。
一方で、価値の高い医療についても、価格をゼロとすることで需要が増えることがわかりました。
これらから、ゼロ価格と非ゼロ価格は、政策目標に応じて戦略的に選択すべきと考えられます。小児の予防注射など価値の高い医療については無料とするが、価値の低い医療については無料とせず、少額であっても自己負担を残す、といった価格設定の工夫が重要です。
残された論点のひとつは、幼少期に医療費助成を通じて医療サービスを多く利用することで、将来より健康となったり医療費が削減されたりしないのか、という点です。もしそのような効果があれば、医療費助成は将来への投資と考えられるかもしれません。
分析では、中学卒業時(15歳)までに医療費助成を受ける期間が自治体によって異なることを用い、助成期間の長短がその後の健康と医療費に影響を及ぼすか検証しました。子供の健康の指標としては、Pediatric Complex Chronic Conditions (CCCs)(Feudtner et al. 2014) の有無を用いました。
分析の詳細は、Iizuka and Shigeoka (2018)をご覧ください。
図4(左図)は、15歳までの医療費無料の年数(横軸)と18 歳時点の医療費の関係を示しています。もし子供医療費助成が将来の医療費を下げるのであれば、両者には右下がりの関係が予想されますが、そのような相関は見られません。同様に、18歳時点での健康状態(右図)についても、右下がりの相関は見られません(注:指標値が低いと健康度が高いことを示す)。
これらより、今回用いたデータにおいては、医療費助成が中期的に医療費を下げたり健康を改善するエビデンスはありませんでした。この結果は、先に述べた、子供医療費助成は比較的健康な子供の外来受診を増やすが、健康状態の悪い子供の毎月の医師訪問を妨げない、という結果と整合的です。

最後に分析結果と政策への示唆をまとめます。
以上より、子供医療費の無償化には様々な副作用があり、予防注射等の「価値の高い医療」を除き、少なくとも一回数百円程度の利用者負担を残すべき、と考えます。
Baicker, Katherine, Sendhil Mullainathan, and Joshua Schwartzstein. (2015) “Behavioral Hazard in Health Insurance.” Quarterly Journal of Economics 130(4): 1623–1667.
Feudtner et al. (2014) “Pediatric complex chronic conditions classification system version 2: updated for ICD-10 and complex medical technology dependence and transplantation.” BMC Pediatrics 14:199.
Fleming-Dutra et al. (2016) “Prevalence of inappropriate antibiotic prescriptions among US ambulatory care visits, 2010-2011.” JAMA 315(17): 1864–1873.
Iizuka, Toshiaki, and Hitoshi Shigeoka. (2022). "Is Zero a Special Price? Evidence from Child Health Care." American Economic Journal: Applied Economics, 14 (4): 381-410.
Iizuka, Toshiaki and Hitoshi Shigeoka. (2018). “Free for children? Patient cost-sharing and healthcare utilization.” NBER Working Paper No. 25306.
*1:「copayment」は一回当たりの定額負担、「coinsurance」は自己負担割合を示す。USD2、3、5はそれぞれ一回当たり200円、300円、500円の定額負担を表す。定額負担の自己負担割合は、外来医療費の平均値を用いて算出。
近年、メタボ健診やがん検診に加え、ウェアラブルデバイスが普及するなど、自らの健康のシグナルがより簡単に得られるようになりました。健康状態の把握を通じて生活習慣が改善し、病気が予防され、更には医療費の削減されるのではないか、と期待されますが、実際にそのような効果はあるのでしょうか。
筆者らは、健康のシグナルが予防医療につながり、健康を改善するのか、また、その費用は効果に見合ったものか、健康診断の血糖値のデータを用いて分析しました。
研究結果が Journal of Public Economics(公共経済学のトップジャーナル)に掲載されましたので概要をご紹介します。(共著者:西山克彦: University of North Carolina at Chapel Hill、Brian K Chen: University of South Carolina、Karen Eggleston: Stanford University)
論文はこちら。どなたでもダウンロードできます!https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0047272721000049
糖尿病は、血糖値が高い状態が続く慢性疾患です。当初は自覚症状が少ないですが、長期的には、目、心臓、腎臓、神経、足、などの重大な合併症につながります。日本においても大きな健康問題です。早期に危険因子を減らすことで予防可能とされます。
糖尿病の診断方法の一つに空腹時の血糖値があります。診断基準値は二つあります。
空腹時血糖値は通常の健康診断のチェック項目に含まれており、そのデータを用いて分析を行います。
分析では、健康診断時の血糖値が基準値を「ギリギリ上回った人」と、「ギリギリ下回った人」を比較します。近年経済学等で多く用いられる、回帰不連続デザイン(Regression Discontinuity Design)という手法です。血糖値が基準値を上回ると、基準値を超えたという通知が来たり、その後医療機関を訪問したりする確率が増えます。一方で、基準値のギリギリ上とギリギリ下の人々では、健康状態やその他の要因には大きな違いはない(より正確には、連続的に推移している)と考えてよいでしょう。これらから、もし健康診断後に、基準値を下回った人々と比べて上回った人々の医療の利用が増えたり、血糖値が下がったりすれば、血糖値が基準値を超えたことの影響と解釈できます。
この分析手法がうまく使えないのは、個人が健康診断の検査値を基準値のギリギリ上や下に操作できるような場合です。そのような場合、基準値の前後に、データ上は観察されないが異なるタイプの人々が集まっている可能性があり、先ほどお話しした前提(基準値の前後で健康状態やその他の要因は連続的に推移している)に反してしまいます。
このような問題は、基準値の前後でデータの観察数に偏りがあるかどうかで確認するのが一般的です。操作がなければ、基準値前後でデータ数はなめらかに推移するが、操作があれば、基準値前後に大きなジャンプがあるだろう、という考え方です。
図1は、横軸に血糖値、縦軸に各血糖値の人々の割合(密度)を示したものです。赤の縦線2本は、先ほどお話しした糖尿病の診断基準値です。基準値の前後で、該当する人の割合は滑らかに推移しており、血糖値の操作の問題はなさそうです。

分析では、レセプト(診療報酬の明細)データと健康診断のデータを突合したデータを用いています。個人レベルのデータですが、個人を特定する情報はありません(データは(株)JMDCより取得)。レセプトデータから、糖尿病関連で医療機関を訪問したかどうかや、かかった医療費がわかります。健診データから血糖値や血圧などのデータが得られます。分析では、健康診断時に、それまで糖尿病と診断されていない人々を対象としています。それらの人々が、健康診断で糖尿病の診断基準値を超えた場合に、その後の医療機関の利用や健康状態に影響があるかを見るわけです。
まず、糖尿病の診断基準値を超えると、医療サービスの利用が増えるかどうかを検証しました。図2は、ある年の健康診断時の空腹時血糖値(FBS:Fasting Blood Sugar)を横軸に、健診後1年間の糖尿病関連の医療サービスの利用量を縦軸に示しています。赤の縦線は「糖尿病予備軍」の診断基準値(110 mg/dl)です。110mg/dlの前後各5mg/dlの範囲に約20万人分のデータがあるため、データのばらつきが小さくなっています。

図2:健診後1年間の医療サービス利用
【左上】健診後1年間に一度でも糖尿病関連で医療機関を訪問した人の割合
【右上】健診後1年間に糖尿病関連で医療機関を訪問した回数の平均
【左下】OGTT(経口ブドウ糖負荷試験、糖尿病の診断方法の1つ)の実施割合
【右下】糖尿病関連の外来医療費(医薬品含む)の平均。
図から、健康診断時の血糖値が「糖尿病予備軍(110 mg/dl)」の基準値を超えると、その後1年間の医療サービスの利用量が非連続的にジャンプすることが見て取れます。例えば左上の図は、健診後1年間に少なくとも一度糖尿病関連で医療機関を訪問した人の割合を示していますが、健診時の血糖値が109 mg/dlの場合は約10%が医師を訪問するのに比べて、110 mg/dlの場合は約15%となり、5%ポイント増加しています。人々は「糖尿病予備軍」という健診シグナルを受けて、医療サービスの利用を増やすわけです。
続いて図3は、翌年の健康指標に同様の変化があるかを見たものです。横軸は先ほどと同じくある年の空腹時血糖値、縦軸は翌年の健康診断時の健康指標の平均値を示しています。

図3:翌年の健診時における健康指標
図3では、図2とは対照的に、110 mg/dlの基準値を超えても翌年の健康指標にジャンプは見られません。健康指標の値は110mg/dlの前後でほぼ一直線で、連続的に推移しているのがわかります。
つまり、「糖尿病予備軍」という健診基準値をギリギリ上回ると、その後1年間の医療サービスの利用が増えるものの、翌年の血糖値には顕著な影響を及ぼさないと言えます。
これらの結果は、より重症度の高い「糖尿病タイプ」の基準値(126 mg/dl)においても同様でした。
ここまで、健康診断の受診者全体に対しては、基準値を越えると医療の利用が増えるものの、翌年の健康指標には改善が見られない、という結果でした。
しかし、リスクの高い人々については、「基準値越え」というシグナルを受けて健康が改善するかもしれません。図4は、この可能性を検討したものです。血糖値が「糖尿病タイプ」近辺であることに加えて、血圧とコレステロール値が高い人々を「ハイリスク」と見なします。これらの人々について、血糖値が「糖尿病タイプ」の基準値(126 mg/dl)をギリギリ越えた場合、翌年の健康指標にどのような影響があるかを示しています。*1

興味深いことに、図4左上図から、健康診断における血糖値が基準値(126 mg/dl)をわずかに超えると、翌年の血糖値を示すラインが下方にシフトしているのがわかります。更に、HbA1c(糖尿病の診断に用いられる代替指標、右上図)についても、同様のトレンドラインの下方シフトが見られます。これらの結果は、より厳密な推計モデルにおいても観察されます*2。これらから、ハイリスクの人々に対しては、健康診断における血糖値がギリギリ「糖尿病タイプ」の基準値を超えると、翌年の血糖値が改善すると考えられます。
では、ハイリスクの人々について観察された血糖値の改善効果は、健康診断によって追加的に発生する予防医療の費用に見合っているのでしょうか。以下の3ステップで分析しました。
まず、基準値越えによる血糖値の低下がどの程度死亡リスクを低下させるか、リスクエンジン(リスク予測モデル)を用いて推定します。リスクエンジンとは、血糖値や血圧、コレステロール値等の健康指標やその他のリスク因子(年齢、性別など)を入力すると、糖尿病による死亡や合併症発症の確率を計算してくれる予測モデルです。論文では、Quan et al. (2019)のモデルを使い、*3基準値をギリギリ下回る平均的な人々について、図4に示されるHbA1c値の減少が、5年以内の死亡リスクをどの程度低下させるか計算しました。
次に、死亡リスクの低下がどの程度の便益に相当するか、「統計的生命価値」(個人が死亡リスクを減らすために支払ってもよいと思う金額)の仮定のもと計算します。当然ながら、「統計的生命価値」をどのように設定するか、また、そもそも設定できるのか、については様々な意見があり、正解はありません。医療経済学の分析では、一人当たりの国民総生産の値や、その数倍の値を用いた議論が多く行われます。今回の分析でも、文献でよく用いられる一人年間5万ドル/ 10万ドル/ 20万ドルの値をあてはめて計算しました。
最後に、2. で計算した便益を、健診で基準値を超えたことで追加的に発生する予防的医療費の増額と比較します。後者の値は、図2右下図と同様の分析から得られます。*4
これらの追加的な医療費と便益を比較したところ、健診を契機とした予防的医療費の増加と、死亡リスクの減少の便益が同程度であると推計されました。
つまり、ハイリスクの人々について、健康診断をきっかけとした予防的医療費はその便益に見合っていると考えられます。
これらの分析から以下の示唆が得られました。
*1:定義:メタボ健診の「追加リスク」の定義と同様に、高血圧(収縮期130mmHg以上、または拡張期85mmHg以上)かつ、高脂質(中性脂肪150mg/dl以上、またはHDLコレステロール40mg/dl未満)をハイリスクとしています。また、メタボ健診の特定保健指導の効果と識別するために、特定保健指導を受ける可能性のある、腹囲85cm以上(女性の場合は90cm以上)またはBMIが25以上の人々は分析から除外しています。
*2:論文に掲載。翌年のFBSとHbA1cが、ぞれぞれ約9.7、0.31減少。いずれも1%有意
*3:https://doi.org/10.1210/jc.2019-00731
*4:より厳密には、血糖値の低下により、将来発生しうる糖尿病関連の医療費が減少する可能性がありますが、それらの便益は今回の計算には含まれていません。
近年、医療・介護の公的データの拡充が進んでいます。代表的なものに、医療のレセプトデータ等を格納したNDB(ナショナルデータベース)と介護のレセプトデータ等を格納した介護DB(介護データベース)があります。日本のほぼ全ての住民をカバーする圧倒的な規模のデータです。しかし、これらが有効に活用されているかというと、大きな疑問符がつきます。実証研究を行う研究者の観点からは、現状、データ利用の手続きのコストが大きいことに加えて、政策に有効な分析を行うのが難しいという問題があります。
具体的に、なぜデータの活用が難しく、また、データがあればどんな分析ができるのでしょうか。先日、社会保障改革を進める国会議員の方々に、「医療・介護データ活用の課題」について、改善(案)を含めてお話しさせていただきました。ご参考にその時のスライドを共有します。日本の公的データは、潜在的には極めて強力なデータであり、政策への有効活用が強く期待されます。
ダウンロードできます。(ダウンロードは画像の右上の「ポップアウト」をクリックしてください。)
皆さんは毎年メタボ健診を受けていますか?健診で、男性の場合腹囲が85cmぐらい、女性は90cmぐらいだと、メタボ健診の保健指導の対象になりやしないかとひやひやしますよね。もし仮に、保健指導の対象となったとすると、翌年の腹囲や体重が減少したり、健康リスクが改善したりするのでしょうか。
そのような問題意識から分析を行った私たちの研究が、医学のジャーナル(JAMA Internal Medicine)に掲載されましたのでご紹介します。共同研究者:福間真悟(京都大学准教授)、津川友介(UCLA助教授)。
結果を先にお話しすると、保健指導の対象となると翌年の腹囲や体重が減少するものの、効果は限定的(-0.4%)で、心血管のリスク要因の改善は見られませんでした。

特定健診(メタボ健診)は2008年に我が国で導入された健康診断で、内臓肥満の予防を目的としています。40歳以上75歳未満全員が受診を義務付けられており、年間2800万人以上が受診しています。毎年500億円以上の費用がかかっているとされますが*1保険者や受診者の負担等を考慮すると、その何倍もの規模であると想定されます。しかしながら、今までメタボ健診および特定保健指導が健康改善につながっているかに関しては明確ではありませんでした。

メタボ健診では、腹囲の基準値(男性85cm、女性90cm)を上回り、かつ血糖値、血圧、コレステロール値のいずれかが基準値を超えている等の場合、生活習慣の改善にむけた保健指導の対象となります。*2。今回の分析では、保健指導の対象となることで、翌年の腹囲や体重、心血管のリスク要因が改善するかを分析しています。
特定保健指導の効果についてはいくつか先行研究がありますが、その効果については必ずしも明らかではありません。既存の研究の多くは、保健指導を受けた人と受けなかった人を比較し、保健指導の効果を推定してきました。
しかしながら、保健指導を受けた人と受けなかった人は、保健指導以外にも多くの違いがあると考えられます。例えば、保健指導を受けた人は、そもそも健康志向の高い人であったかもしれません。その場合、仮に保健指導を受けなかったとしても、健康状態が改善した可能性があります。つまり、単純に両者を比較するだけでは、保健指導の効果を正確に把握することはできないのです。
今回の我々の研究では、近年経済学で多く用いられている、不連続回帰デザイン(Regression Discontinuity Design:RDD)という因果推論の分析手法を用い、保健指導の対象となる効果をより厳密に分析しています。分析では、腹囲の基準値(男性85cm)を「ギリギリ上回った人」と、「ギリギリ下回った人」では、保健指導の対象となる確率が大きく異なる一方で、健康状態やその他の要因は、基準値の前後で連続的に変化すると考えられることを用いています。*3
データは、全国規模保険者に所属する約7.5万人の健診データ4年間分を用いています。分析対象者の数が十分であった男性を主たる分析対象としました。
今年の腹囲(横軸)が85cmをギリギリ超えると、翌年の肥満に関する指標(縦軸)が下方にジャンプすることがわかります。保健指導の対象となることで、肥満に関する指標が改善することが示唆されます。ただし、後ほど推計結果をお示しするように、このインパクトは比較的小さいものにとどまります。

こちらは、先ほどのグラフと異なり、85cm前後で明らかな変化はありません。保健指導の対象となっても、心血管リスクは大きく減少しないことが示唆されます。
より厳密な統計的手法(RDD)による推計結果は、上記のデータのプロットから示唆される結果と同様でした。要約すると:

括弧内は95%信頼区間を表します。

括弧内は95%信頼区間を表します。
今回の分析では、回帰非連続デザインという手法を用いました。この手法では、ある閾値(腹囲85cm)の前後で、保健指導の対象となるかならないか確率が大きく異なることを利用し分析しています。そのため、今回の分析結果は、あくまで腹囲が閾値周辺の方にのみに当てはまることに注意が必要です。言い換えると、腹囲がより大きい人に保健指導を実施した場合、より大きな効果が得られるかもしれませんが、今回の分析からはわかりません。今後、腹囲の基準が今のままでよいのかどうかを含め、検討が必要です。
今回の研究では、特定保健指導によって、軽度の肥満改善を認めましたが、心血管リスクの改善は認めませんでした。現在の特定健診・特定保健指導制度による健康アウトカムの改善は限定的であると考えられます。
保健指導の効果が小さい理由としては、比較的健康な人々が多く保健指導の対象に含まれていることが考えられます。保健指導対象者を抽出する際の基準値が比較的低く設定されている可能性があります。今後、より費用対効果の高い保健指導の実施に向けて、基準値が現状のままで良いのか、検討が必要です。
また、保健指導の対象となっても、実際に保健指導を受ける人は約16%と、低い値に留まっていました。どうすれば保健指導を受ける人を増やせるかについても検討が必要です。保険者や個人に対するインセンティブの再検討や、行動経済学の知見を活用するなどが考えられます。
同様に、どのような保健指導がより効果的なのかについても検証が必要です。その際、効果の検証が可能な形で指導方法を比較すること、すなわちエビデンスに基づく検証が求められます。